祖母を、見送ってきました。
88歳でした。 若いころに胸を患い、30歳までは生きられないと宣告された祖母の口癖は、「そ~れがどうしたことか、私がこの歳まで生きるだなんて!?」とけらけらっと。 ケラケラっと笑っていたのは、私の「おばあちゃん」だった頃までで、ムスメにとっての曾祖母にあたるものの、「おばあちゃん」と4歳に呼ばれる祖母は、今年に入ってからは、なかなかベッドから起きてこられない日々になっていましたが、去年まではリバティを大胆にカットして、ムスメの洋服を仕立ててくれ、耳こそ遠いもののミシンに向かう眼光はプロの鋭さを湛え、ムスメと遊ぶのをなにより楽しみに、底抜けの愛情で包んでくれました。 ムスメは母のマンションに行くと、耳の遠い祖母にもいっぺんで通じるような普段の何倍もの大きな声で「おばあちゃんっっ!!」と、まず叫び、祖母も「Rちゃん、来たのかい~~!?」と、100%の笑顔でぴょこんと出てきてくれるあの姿が、もう永遠になくなってしまったことが、ただただ寂しい。 年末年始に酷い風邪を2つ立て続けにひき、食欲が緩やかに、そして確実に減速していった祖母の体には大きな打撃となったようでした。 死にざま、という言葉は適切ではないかもしれませんが、「延命治療はしない」という言葉、よく聞く意見の割に、実際には「点滴だけはする」(だけど延命治療じゃないという)、「呼吸は補助する」(だけどそれも延命治療とまではいわないという)、など、人によって解釈(言い分)がさまざまでありますが、母と祖母の話す「一切の人工的な処置をせずに、自然に死にたい」という希望は、尊重されるべきであり、そしてまた目の当たりにして、(適切な表現ではないかもしれませんが)、なんと潔い、と感銘すらうけました。 耳が遠いばかりに、人との会話を煩わせたくないとの思いで、知人友人を淘汰してきたここ数年の祖母。 葬儀などしたくない、誰にも迷惑をかけたくないのだと日々孫の私にまで確実に理解するよう伝えられ、その意志のまま、ごく僅かな、祖母を大切に思う人間だけで、お見送りしてきました。 段々食事の量が、緩やかに確実に減っていき、一つの契機を境に最期の支度にとりかかり、穏やかで揺るがない確固とした意志によって、生を自ら閉じた姿は、完成された一篇の詩、もしくは魂に寄り添う名曲のようでした。 延命治療というものにまつわる議論、古くからの慣わしや習慣によって、自らの考えを確立してまたそれを遂行するのが困難な、葬儀というものの捉え方、誰かを見送るたびに、考えさせられる命ある限りやむことない議論ですが、夫と母を見送った私の母の、世間のどんな無理解と批判的な考えに触れても、考えをまっすぐに保つ母にもまた、共感と敬意を覚えるのでした。 「自分たちの考えが先進的で正しい」というつもりは、(少なくとも私自身は)なく、どういう形であれそれぞれに考え合ってのことだろうけれど、ただ一つ絶対的に正しいと思うことは、それがどんな考えであれ「故人の遺志」に従うこと、こういう状況下の時こそ、他の一切の理論や批判は、むしろそれ自体が批判されるべきである、ということ。 自分の常識や宗教を「これが常識、これが正しい」と思い込むことから、全ての戦争がはじまるように、それが愚かな発想だということに気づかない人間でありたくない、と折に触れ、強く思います。 息を引き取る前日、もうこのあたりでお暇を、と死にゆくことを自ら「決めて」いる祖母に、別れを告げに会いにいかないと・・と虫の知らせを受けたかのような突き動かされる感覚で会いに行き、ベッドの中でかろうじて呼吸だけをしている祖母の前で、涙を流しました。 祖母はフと気付いて、私の手を握り返し、いいんだよ、寿命だからね、これでいいんだよ、どこも痛くないんだよ、とっても幸せだったよ、ありがとう、と、小さな声を絞り出して少し微笑んでまた、眠りに入りました。 もう一度だけ目を開け、愛おしそうに娘の名を呼び、かわいいね、とってもいいこだよ、かわいいよ、と、ひ孫へ抱いた底抜けの愛情を、私にもう一度戻して託すかのように、頷いて、そしてそれが最後の会話になりました。 死を受け容れ、むしろそれを自ら決め、まわりのすべての人に、最後の最後まで心配させないよう優しい心配りをし、そっと生涯を閉じた祖母。 40年、いちども、ただの一度も、「いやだな」という感情を抱いたことのない、私の唯一の人間が、祖母でした。 いつも控えめで、心の底から優しい人間で、誰より美しい祖母でした。 おばあちゃん、ありがとう、だいだいすきだよ。
by pechopiano
| 2015-02-12 11:24
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